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11月11日(日)に行いました「第三回氷川短歌賞選評会」の受賞作品を発表します。

大賞と選者賞の作品には、先生方からコメントをいただきました!

最後には先生方が皆さんと同じテーマで詠んだ短歌もあります。ご覧ください。

        

         

       

大賞

晴天に置き去りし椅子幼な児の紅白駆ける帽子を数え   きよ

         

【川野先生からのコメント】

 運動会の記憶だろう。次々に走り去る白帽赤帽の子供たちを夢中で応援したその時のまま一つの椅子が取り残されている。それはまるで思い残しのように作者の心中に残るのだ。子育ての時間はあっという間に過ぎ、二度と戻らない。あの運動会の歓声とともに子供達の記憶は鮮やかなままだ。時々、あの日の椅子に腰掛けに行く作者だ。記憶と現実の境界に残る風景のようで、豊かな情緒を感じさせる。東さんとともに推した一首だ。

【東先生からのコメント】

 運動会のために、運動場に持ち出された椅子のイメージなのでしょう。椅子が晴天の下にぽつんと置き去りされている様子は、清々しくて、少し淋しい感じがします。「置き去り」という語の選択が意味深です。かつて幼かった子どもが、運動会で元気に駆け回った日をしみじみと思いだしているのだと思います。「数え」という結句は、自分の子どもだけでなく、あの子もこの子いたなあ、と心があふれているようです。

       

     

        

選者賞 川野里子賞

諦めたはずの裸眼で見た椅子の脚きっかりときっかりと立つ  椛沢知世

【川野先生からのコメント】

 さまざまな迷いを振り切って諦めたそのとたんに見えてくる風景は実に鮮やか。一脚の椅子さえ自ら意志をもつかのように四本の足でしっかりと立っている。下の句の繰り返しも自らに言い聞かせるように響き、心中の迷いを振り切るかのようだ。世界の見え方は心の状態と連動している。椅子の自立した姿が見えた作者はこの時、自ら自立したのだろう。椅子との問答によって深まっていく世界観が鮮やかで魅力的な作品だ。

       

      

選者賞 東直子賞

もうそこに座らぬ人を思うとき北方林にふる雨の音     高山由樹子

【東先生からのコメント】

 かつてその「人」は、ずっとその椅子に座っていたのです。もう座らないのは、関係が終わってしまったからでしょうか。もしかすると亡くなられてしまった? あるいは、退職してしまった人なのかもしれませんね。いずれにしても「北方林」という語の響きが想像をかきたてます。針葉樹林に雨が降る、厳しい地域のイメージが、届かない所に行ってしまった人の厳しさに繋がるようです。痛切さと共にある清潔な叙情に魅かれます。

       

          

氷川賞(来場者による投票)

あのひとの席が椅子へと還る時私の声も音に戻りぬ       浮沈子

※当日、川野先生がメインで解説されたことを簡単ですがまとめさせていただきました。

【川野先生】「あのひと」からドラマを感じる。席と椅子というのは別物で、「席」は誰かと深く結びついており、それが人間的なものから非人間的なものに移っていく。【東先生】肉体を通していた声がただの音になっている。

受賞された皆様、おめでとうございます! 前列(左)川野先生 (右)東先生

先生方の短歌

だれか来てだれか去りまただれか来てさびしき艶ありラーメン屋の椅子  川野里子

椅子の背にカーディガンが残されて貝を拾いにいったようです      東直子

     

川野先生は、読売新聞(西部版)・毎日新聞(千葉版)・日本農業新聞にて

東先生は、東京新聞・公募ガイド・NHK短歌・オール讀物にて選者をなさっています。

今回初めて短歌を詠まれた方もいらっしゃると思います。

この機会に是非、短歌に親しんでいただけると嬉しいです。